東京に住んでいる事

二週間前から東京に住んでいる。

といっても住んでいる場所は東京の東の端、隅田川に近い下町も下町といった感じの一画。ゆえに別に、所謂キラキラした都内暮らしではない。

ほとんどの上京者は私と同程度か、もう少し華やかな程度の都内暮らしだろう。

少し歩けば隅田川に出られ、スカイツリーを眺めながら散歩出来る。

隅田川沿いの道は昼でも人通りは多くなく、夜もジョギングするランナーが数人行き交うのみで、やや寂しいくらいだ。極めて静かな土地だが、実際住み始めるまで、東京にこんな静けさが存在するとは想像できなかった。私の想像力は貧困だ。

ゴールデンウィークの二日目。雲一つない晴天で無風という好条件の中、特にやることもないので、新しく買った自転車で言問橋まで出てみようと思い立った。自転車を漕ぎながら隅田川沿いを走っていたら、突然どこからか、軍歌のような歌が流れてきた。あれ?と考える間もなく音量はみるみる大きくなっていく。音源はどこかとキョロキョロ首を回して探したら、向かいの首都高を、拡声器を上に乗せたどこかの組織の宣伝カーが、けっこうなスピードで走ってくるのが見えた。録音が古いせいで、音がブチブチ切れるので、歌の中身はほとんど聞き取れない。しかし、このような歌は、七十数年前たしかに隅田川に響き渡っていたはずだと考えた瞬間、ふと戦時中にタイムスリップしたような、不思議な錯覚に陥った。青天と軍歌の取り合わせに、白くそびえるスカイツリーは、なぜだか妙に馴染んでいた。宣伝カーはものの数十秒で、千住方面へ走り去っていった。言問橋を越えると途端に観光客が増えて、感傷的な気分の入り込む隙はなくなった。

待乳山聖天に登ってみたのち、山谷堀公園を吉原方面に向って北上した。濹東綺譚で予習済みの橋が順に出てくる。一部は、橋の親柱が古いコンクリートのまま残されている。昭和6年築らしい。東京の街歩きは、コンクリートの見た目で時代の判別がつくようになれば、もっと楽しめそうではある。

その日は山谷から吉原に行って、弁天池の観音様を拝み、たこ焼きを買って帰った。次の日、今日だが、また自転車で、TX浅草駅、三ノ輪駅、南千住と回って、各所の寺や神社を巡ってみた。期せずして墓場巡りのようになった。

浄閑寺の門に、昼から丁度荷風の法要と講演会をやっているとの張り紙があった。私は今日がまさか命日だと知らずの訪問だった。受付時間も過ぎていたし、図々しく入れてくれと言う気分でもなく、寺の裏手の碑の写真を撮るだけ撮って帰ることにした。

浄閑寺は遊女の投げ込み寺と呼ばれていた。遊女を弔う大きな地蔵があり、髪飾りなど供えてあって、自分も何か置こうかと思い鞄を探ってみたら口紅入れを見つけた。しかし友人からの貰い物で、使いさし。地蔵の前で数分、女なら逆に嫌がるのではないかと余計な気を回したり、友人にも悪いし、まだ使うし、などとけちくさいことを考えたりしたあげく、結局何も供えなかった。地蔵の向こうの吉原の女たちは呆れて笑っているはずだ。

南千住には刑場跡があった。首切り地蔵、ダイレクトな名前。ここで累計二十万人処刑されたかと思うと、数が多すぎて逆によくわからなくなってくる。私に霊感はないが、もし幽霊が居たとして、住宅事情が大変そうだ。身を寄せ合っても到底敷地内には収まりきらないので、霊感のある人がこの場所を見れば、高層マンションが建っているかもしれない。

一通り回ってみて、南千住がどうやら江戸の東の端だったことを理解した。

京都の昔の西端は西院で、賽の河原の「さい」でもあるらしい。都市は端に向かって、遊郭、刑場など、はみ出し者の居場所が作られる。はみ出し者の居場所の中でも、また細かな上下関係は作られる。近代以前は、外に外に果てしなく広がっていったその先が異界とかあの世と呼ばれる世界に繋がった。

現代は、あちら側がなくなってしまったので、異界は現実世界にある。と思う。